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「昭和の子」第十六回


 雨の日は裸足で通学

 小学校は自宅から一キロ弱のところにあった。行き帰りはもちろん徒歩である。
 通学に履く下履きは藁草履だった。周りは農家ばかりだから、藁は腐るほどあるのだか、誰も経験のないわが家では藁はもらうことが出来ても、草履を作るわざがない。
 隣りのおばあちゃんがこの草履編みのプロだった。このおばあちゃんが編んでくれる草履は履き心地もいいが、強くてなかなか崩れない。わが家の兄妹の履物はもっぱらこのおばあちゃん頼みだった。
 上履きは布で編んだ草履だった。端切れを持ち込んで、このおばあちゃんに編んでもらっていた。
 藁草履の難点は雨の日と乾燥した日だ。乾燥続きのときなど、草履が巻き起こす埃がひどい。学校に着いてみると、ズボンの後ろは真っ白になっていた。雨の日は草履を履かずほとんど裸足の登下校だった。
 家からいきなり裸足のままで飛び出すのは子供心にはなかなかの快感だった記憶がある。ポーンと飛び出してそのまま学校まで一直線。水たまりも気にせず走った。
 ところが秋の長雨はつらい。通学路の途中に山を切り開いた切通しがある。雑木の中には栗の木も混じっている。熟れかけのままで落ちた栗のイガや青いまま落ちたイガがそこここに転がっている。ボトンと目の前に落ちてくることもある。うっかりそいつを踏んづければ悲鳴を上げるほど痛い。
 学校に着くと運動場から教室への入口に洗い場がある。そこで水道をひねって足を洗って教室に入るのである。
 やがてゴム靴の配給が始まった。あれは戦時中のことだったのか、前後のことだったのか。おそらく戦後間もない頃のことではないかと思う。戦争末期には子供に回せるゴムなどなかっただろうから。
 ところが配給と言っても、クラスに一足か二足だけである。みんな草履履きだからゴム靴は欲しい。先生が胴元になって抽選である。運良く引き当てた子は全員の羨望の冷たい眼差しに耐えなければならない。
 でも配給はなぜゴム靴だったのだろう。ズックの運動靴が行きわたるようになるまでにはかなり時間がかかった。実際にこのゴム靴を履いてみると、通気性が全くないから、靴のなかで足がむれ、臭くなる、ゴミや垢がよれて足の指の間にこびりつき、あまり具合のよいものではなかった。

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