
小学校高学年の頃から鉱石ラジオに夢中になった。
小指の先っぽに乗るほどのあのちっちゃな石っころが、空中を飛ぶ電波をつかまえてレシーバーの奥から音楽やニュースを聞かせてくれるとは信じられない思いだった。
しかし、レシーバーの奥から雑音混じりにかすかに聞こえてくる鉱石ラジオだけではどうしても満足できない。何とかして真空管とスピーカーのちゃんとついたラジオを自分の手で作ってみたい、その思いが日に日に膨らんできた。
だが、真空管もスピーカーも貧しい中学生の小僧に手が出せるほど安くはない。しかし、どうしても作りたい。
当時、誠文堂新光社から僕のようなラジオ少年向けの「初歩のラジオ」という雑誌が出ていた。その雑誌の付録に実物大の配線図などがついていて、いやでもラジオ少年の気持ちは高ぶる。頭の中で、半田ごてをあやつってばかりいると、もう矢もたてもたまらなくなる。
二度母にねだってみたが、真空管一本の値段を聞くや、母の返事は即「無理」。家の事情もわかっていたのでいったんは諦めた。しかし、やはりどうしても真空管のラジオが作りたい。
そんな思いを抱いて、毎日のようにラジオ屋さんのショーケースに並ぶピカピカの真空管や色とりどりのコンデンサーや抵抗、どっしりとしたダイナミックスピーカーを飽かず食い入るように眺めてはため息をついていた。
そのうちとうとう思い余って、通学路の途中にある街のラジオ屋さんに飛び込んだ。
「何でも手伝いますから、ラジオの作り方を教えてください」
このラジオ屋さんのお兄さんという人が親切な人で「いいよ。社長に聞いてみる」と言ってくれた。
「無給でもいいなら」と社長さんも認めてくれ、晴れてこのラジオ屋さんの無給アルバイトになった。もっともまだその頃まで、アルバイトなんて言葉はまだ誰も使ってはいなかった。ラジオ屋の小僧、走り使いである。
それでも嬉しかった。毎日、放課後になると、それこそ脱兎のごとくそのラジオ屋さんに駆け込むのである。